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平成23年度外国人住民エッセイコンテスト入選作品

 

最優秀賞

"津田さん"

 (ジョウ) (ショウ) 

 昨春、桜色の富山に私は降り立った。

 大学で学んだ英語を捨て、日中比較文学を学びたい一心で、何も考えず、何とかなるさと思って来日を決めた。飛行機に乗って、初めて独りで故郷を遠く離れたことに気付いた。

 幸いに、富山の友人たちは優しかった。ただ、日本語の問題に悩まされた。その上、研究テーマは、日本についての歴史と文化の深い理解が必要だった。その半年後に、私は大学院に入れるなどとは思わなかった。しかし、友人津田さんの存在は、私の人生を大きく変えてくれた。

 私と津田さんは同じ年だ。教室の中で、他の学部生と話している時、津田さんはやってきた。その時、私たちは儀礼的な挨拶を交わしただけだった。授業が始まって、私たちはともに中国語を翻訳する授業を選んだ。当時の私は、日本語がほんとうに下手で、授業についていくのは全く無理だった。困っている時、津田さんは静かに「宿題のチェックをやってあげたいわ」と言ってくれた。私は飛びあがるほど嬉しかった。ぐちゃぐちゃの文章を直すことは、簡単な事ではない。時間もかかるし、彼女のためにもならないはずだ。でも、津田さんは私のために真剣に一字一句を説明して正しくしてくれた。それも一年間ずっと続けてくれた。

私の疑問にいつもすぐ答えてくれ、先生のゼミで、私のためにメモを取ってくれた。私の最初の大学院の試験が不合格だった時、彼女は一言耳元で「もう一度最初から頑張ろう」と言い、アルバイトで疲れていても、私が復習するのを助けてくれた。彼女は眠い目をこすりながら、辛抱強く教えてくれた。

 「純粋で、功利のない思いやり」- 私にとって津田さんは魯迅の藤野先生のようだと思う。私が富山で得た最大の宝だ。

 私たちは今、互いに心を打ち明けることができる。もしこれが縁というものであれば、私はそれを信じる。今思う。定めの中で、私たちは富山に導かれ、彼女に出会ったのだと。私はいつの日か、この友情に応えたい。

 

優秀賞

 "畳"

 ジア スーロン

 初めて富山に来たのは蒸し暑い夏の日でした。私は飛行機でカナダから日本まで来たので、とても疲れていました。そして、部屋に入った時、新しい畳のにおいにショックを受けました。きつくて、変なにおいでした。富山の第一印象は、この強烈なにおいでした。富山って本当に、変な所だと思いました。それから、蒸し暑い日が続き、夜には蝉がうるさいくらいに鳴いて、カラスは私を毎朝五時に起こしました。それに、新しい畳のにおいはどんどんきつくなってきました。天気や蝉やカラスが私を寝させてくれず、畳のにおいのせいで頭が痛くなってしまいました。それでますます部屋に入りたくなくなりました。もちろん、富山での最初の夏には多くの日本人や他の国の友人たちに出会いました。そして、立山や富山県のすばらしい所にも行き、ますの寿司やホタルイカなど美味しい物もたくさん食べました。でも、畳のにおいは一番悪い印象を残しました。その夏は、畳のにおいを忘れることが出来ませんでした。

 今年、夏の前に、中国にいる祖父母に会いに行きました。一ケ月くらい中国にいて、去年日本に来たときと同じ時期に富山に帰りました。私が富山を出発した6月の下旬は涼しくて、天気もくもりでしたが、一ケ月経って帰ってみると暑い夏になっていました。日本の蒸し暑い夏を思い出しました。その瞬間、一年前日本に来た時に感じたことを思い出したのです。それは、あの畳のにおいでした。でも、去年とは違う新しい気持ちも私の心に芽生えてきました。なつかしかったのです。畳のにおいはもう、あのきつくて変なにおいではありませんでした。そのにおいは、友達との楽しかった時間を思い出させてくれました。あの嫌いだったにおいが私をうれしい気持ちにさせたのです。においで我が家に帰ってきたような気持ちになりました。その瞬間、分かったのです。富山は自分の一部になったのだと。うれしい気持ちで部屋に入って、私は言いました。「ただいま!」と。

 

 

 

優秀賞

"富山にきて"

                          (キム) (ジュ)(ビン)

 ある日、会社から帰ってきたお父さんに言われました。「日本に行くことになった」

 私は、その言葉を聞き、心の奥がドッカンと鳴りました。まだ幼かった私には、日本という国が、見慣れなくて、大きくて、危険な場所のような感じがしました。私は、外国へ行くという楽しみな感じと、すべてが新しいという、不安で胸いっぱいになり、ひとり悲しくて泣いていました。でも、強く決心し、新しいことに立ちむかうことにしました。

 日本に来た日、私は人々が何かの暗号でもしゃべっているように聞こえました。学校でも、みんなが何をしゃべっているのか、一つすらわかりませんでした。でも、みんなは私に話しかけてくれ、私はみんなの優しさにつつまれ、少しずつ日本語を覚えていきました。学校の友人のほかにもCiCでは先生方が優しく日本語を教えてくださって、私は、たったの4カ月で日本語がすらすらしゃべれるようになりました。

 富山にきて不便だったことはありません。でも韓国であまり運動しなかった私は、学校での急な運動に苦労しました。けれど、だんだん生活にも慣れ、前よりは運動がうまくなりました。

 勉強では、漢字が難しかったです。10点。毎日そんな点をとっていました。でも言葉がうまくなるにつれ、漢字もうまくなってきました。ただ一つ心配なことがありました。それは英語です。韓国ではみんな英語がペラペラです。私はまだ低レベル。でも必ずできるという気持ちで、今も英語をがんばっています。

 夏休みに韓国に遊びに行きました。やっぱり韓国は、ふるさとという気がしました。でもここ日本に3年間もいると、だんだん日本が好きになりました。食べ物も、今では、寿司や梅ぼしなどをおいしく感じるようになりました。

国際交流フェスティバルで、家族みんなで韓国の歌を歌いました。聴いてくれた人から「歌、うまかったよ」「すごくよかった」と感想をいただきました。その時、私はあることを学びました。それは富山のみなさんのように、自分が言われてうれしいことを他人に言おう!ということです。

 富山にきてから多くのことが好きになりました。一つ目は本を読むことです。もともと本を読むことは嫌いではありませんでした。本がたくさんある富山に来てもっと好きになりました。二つ目は、文章を書くことです。私は富山でたくさんのことを学びました。富山は私のもう一つのふるさとです。私が困った時に、たくさんの人々が手をさしのべてくれ、相手の気持ちを理解し、なぐさめてくれる富山が私は好きです。私はこれからも大好きなもう一つのふるさと富山を愛し続けたいと思います。

 

 

 

 入賞

"幸せいっぱい"

ノール ハミム

 畑と山と緑がいっぱい。これが私の富山の第一印象です。自然に囲まれていて、富山の人々は自然と共に生活しています。家があり車が止まっていて隣に大きな畑があるのは富山ではごく普通の光景です。家には最新の家電があり、おじいちゃんやおばあちゃんが農業をやっていて、今と昔がまざって並んでいるような気がします。

 私は都会に生まれたので家の周りはビルばかりで、自然を感じる経験は少なかったです。時間の流れが速く、人生に余裕を感じられない都会と比べたら、富山では時間がのんびりしていて、人々は焦らずにゆっくりしたペースで日々を過ごしています。車とか工場の騒音もなく、汚れもなく、空気がきれい。こんなに静かで平和な富山では、心が落ち着きます。

 富山には色んな人々が住んでいます。毎日朝早く起きて畑などで頑張る農家の人達。自転車でぶらりと出かけるおばあちゃん。黄色い帽子をかぶって小学校まで歩く子ども達。彼らに「いってらっしゃい」と声をかけるお母さん。毎朝、お互いに「おはよう」とあいさつしながら、それぞれの場所へ向かいます。

 外国人の私が最初にここに引っ越してきた時、みんなにびっくりした表情で見られました。何も言わなかったが、明らかに外国人だと思われたのでしょう。私はこういう顔をされるのは初めてで面白いと思いました。今は少し日本語が上手になってきて、みんなと交流できるようになってきて、みんなと交流できるようになってきたのでびっくりした顔はもうされません。富山の人々は人見知りなのに、私に色々な人が話しかけてくれて嬉しく思います。

 最初全く分からなかった富山のことを私は今たくさん知っています。ここに住んでもう三年になるので、色々なことに詳しくなりました。道を聞かれたらすぐに答えられるし、富山弁も話せます。富山に友達を作って、富山を愛して、私も富山の一部になった気がします。

 

 

 

入賞

"自然とコスモポリタン"

マシュー ブラウン

 富山には来たばかりで、高岡市民としては一カ月しか経っていない。それにしても、この一カ月でびっくりしたこと、信じられないこと、そして感動したことがたくさんあった。

 今まで日本に住んだ経験は東京に限られている。便利で、コスモポリタンである東京は、故郷のロンドンに住んでいるみたいに、イギリスの物を買ったり、食べたりすることができる。富山に着いた時に、ここは大分違うと最初に私は思った。しかし、「違う」からと言って、富山に来て以来、東京に欠けていることが分かってきた。

 最初にびっくりしたのは、高岡の自然との近さだった。仕事が終わった後、週末には、車で10分以内で自然の中に身を置くことができる。多忙な時にこのような自然の中で充分リラックスできることが不可欠なのではないかと思う。一方で、東京のアパートから車で10分行ったとしたら、渋滞の中に身を置くしかできないだろう。同じように、冬になったら、平日に仕事が終わってからスキーをしに行くことは、富山に来る前はあり得ないことだと思っていた。

 先ほど、東京はコスモポリタンであると書いたが、富山県もある程度コスモポリタンであると言えるのではないだろうか。様々な国籍を持つ人々が住んでいる異文化的な富山県のおかげで、日本の習慣を体験したり、美味しい料理を食べたりすることができるばかりでなく、ブラジル、フィリピン、中国、ロシアの文化にも触れることができた。富山県がさらに国際化していくにつれ、上記の国に限らず、世界のすべての国の文化に触れる機会が増えるのではないかと思う。

 確かに公共交通が頻繁でない、歩道の幅が自転車にやさしくない、ごみの出し方が大変複雑という細かいことに慣れるのは少し時間がかかるかもしれないが、身近にあふれる美しい景色を見るとこのような文句をすぐに忘れると思う。日本の伝統的な俳句の中には、自然に関するものが多い。そこで富山県の自然を俳句で表現して終わる。

 

夕方に セミの鳴き声 落ち着ける

 

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